好きなことを仕事にするのはマチガイ?
こんにちは
sho-ichiです。
先日家族のように付き合っている友人の結婚披露宴がありました。
自分以外の誰かが幸せにしている姿を自分のことのように幸せに感じられる
ってとっても幸せなことですね(^^)
でも、
自分に余裕が無かったり、自分自身が大きな不満に悩まされていたりすると、
他人の幸せが妬ましく思えてしまったりすることも、人間誰しも経験があると思います。
そうならないためにも自分の人生の満足度・充実度の高さを維持することは大切です。
今日は、「好きなことを仕事にする」のが良いのかどうか?
について自分なりに最近考えていることを書いておきたいと思います(><)
好きなことと金になること
独立や転職を考えている、あるいは考えたことがある人は
この「好きなこと」と「金になること」の間で人生の大きな選択に悩まされた経験があると思います。
これは僕の個人的な考え方ですが、
「好きなこと」を仕事にできたらそれは幸せです。
でも一方で、
「金になること」を仕事としてできることもまた、幸せなことだと思います。
何故なら「金になる仕事がある」=「対価を払ってでも欲しいと言ってくれる何か(スキルに限らず人脈やフレーム、既得権然り)を持っている」ということだからです。
逆に「好きなこと」は、
自分がそれを好きと言うだけでは仕事としては成り立たず、
誰かが対価を払ってでも自分にその好きなことをやっていて欲しいと言わせしめることもセットで成し遂げないと仕事としての継続はできないわけです。
人生のミッションは幸せに生きること
さて、そんなわけで「仕事」は誰かに必要とされること、すなわち金になることがそもそも必要です。
だから僕は「仕事」と言う観点では「好きなこと」よりも「金になること」が優先されるべきだと思っています。
しかし!
かと言って、当然好きでもない仕事はしたくありません。
僕は人生の最大の目的は幸せになることだと思っています。
もちろん幸せの定義は人それぞれですが、
それは豊かに生きることであり、好きなことを好きなように出来ることです。
そうした時に取れる選択肢はたった二つです。
・金になるものの中で一番「好きなこと」に近いものを見つける/または創る
か
・「金になること」を面白くする(好きになれるようにする)
もちろん前者があれば、しかも近いどころかピッタリ一緒だったら最高です。
でも、そんなものに出逢えている人はそもそも悩まないわけなので、
今回は後者をどう実現するか、という方法を紹介します。
「金になる」フィールドで「好きなこと」を強みにして戦う
これが僕がお勧めする方法です。
「好きなこと」や得意なことを仕事にすると、それを商品として勝負しなければいけなくなります。
競合他者(他社)も同じ商品で戦っているので、「好きなこと」を好きなようにやるのではなく「勝てるようにやる」ことが必要になってきます。
そうすると、「好きなはずのこと」を「好きなように」は出来ないという事態も起きかねません。
果たしてそれは本当に「好きなこと」を仕事にできていると言えるでしょうか?
そこで僕は、
「金になる」仕事の中で、客に対する付加価値として「好きなこと」を好きなように提供するように心がけています。
分かりやすい表現をすればメインの商品の「おまけ」として「好きなこと」を顧客に提供するというフレームをつくるのです。
「おまけ」であればそこで競争する必要が無いので「好きなように」できます。
既存の商品に付加価値を付けるということ自体がとっても難しく悩ましい課題ですが、
「好きなこと」をうまく本業に絡めて自分の強みに変える。
これが最善の仕事のしかたかな~と思っています。
ちなみにもと商社の営業マンらしい発想でしたかね(⌒-⌒; )?
もともとある商品を仕入れて売るのが商社マンの仕事なので、
商品そのものではなく、
自分の「やり方」や「自分自身」を文字通り売り込んで差別化するっていう感覚を持っています…!
番外編
ちなみに、「好きなこと」を好きなようにやって、それでいて勝つ、
というように、「勝つこと」そのものや、そのために工夫をすること自体に面白さを感じられるのであれば、「好きなこと」で戦うのもアリです。
ってゆーかそれが一番ポピュラーな「金になること」を面白く捉え直すコツだったりもします。
プレゼントにかわる子どもへのものの与え方
sho-ichです。
先日に続いて
せっかくなんで子どものハナシ。
というか子育てのハナシを!!
さて、
乳幼児期は子どもへの親の関わり方はとっても重要で、最も親密な他者である親との関わりが、その子の人格形成にも大きな影響を及ぼします。
一方で、ある程度大きくなってくると、
親との関係性よりも、当人の友人関係など、自身で関係を築いた他者からの影響を大きく受けるようになります。
と、なると、
親にできることはなんでしょうか?
ハッキリ言って
「こうしなさい」とか「ああしなさい」をいくら言っても意味がありません。
先回りして答えを言うと、それを敢えて避けたりもするのでむしろ本人の選択肢を狭めます。
また、基本的にそうやって言い聞かせて"正しく"導いても、それは本人自身が選び取った成功体験にならなくなってしまうので、本人の自信にも成長につながりません。
さて、
そこで唯一、大きくなった我が子に親ができることは何か?
それは機会を提供することです。
親自身は直接的に何かを助言したり、学ぶべきことを予め用意したりせず、
それらを自ら感じ、学び取ることができるような環境を用意してあげることくらいでしょう。
子どもにはお金が掛かりますが、
子どもにお金そのものをあげるのではありません。
子どもに良質な機会提供するために、
お金が必要になる、と言うことだと思います。
学校然り、習い事然り。
で、最近我が家で息子に実践しているのがコレ!
プレゼント
ではなく
投資をする。
ということ。
まぁ、子どもの教育費は「未来への投資」なんて言ったりもしますが、
もっと露骨に投資をすることにしました。
最近息子は、
キャプチャボードが欲しいらしいです。
パソコンでゲームなどをやるために、パソコンのスペックを上げる増設ハードです。
彼は彼なりに、youtubeとかをみて、
ゲーム動画を編集したりしてみたい、という気持ちがあるようなんです。
11月には彼の誕生日があるので、そのときに買ってあげるという選択肢もありますが、
ここを、
敢えて「投資する」ことにしました。
キャプチャボードを買うための資金として10000円なら出資するよ、と言ってみました。
投資なので、彼にキャプチャボードを買い与えるに当たっては、
必ず配信者になること、
また、どれくらいの頻度で配信をするのか、最低限どれくらい継続するのか、
また、まぁ、無理だとは思いつつも、広告で収入があった場合の配当も決めてもらってからの出資です☆
ウチの子は引っ込み思案なので、
(ホントは憧れてる気持ちがあるんだけど)
もしプレゼントしてしまっては、ゲームを編集して、アウトプットせずに終わります。
プレゼントの条件にしてしまっては、せっかくやりたいことなのに、強制された感じになり、自分自身の主体性が消えます。
だからこその、
敢えての投資です。
そうすることで、
彼が自ら主体的にやりたいことに取り組み、
失敗しても成功しても、
自分自身発の、経験値になることを願っています(><)
子どもに教育を受けさせること、
それは確かに国民の義務ですが、
それは学校に行くためのお金を出すということではありません。
子どもが自ら学ぶための機会を提供すること、それが義務なんです!!
彼にとって、ひとつの経験に踏み出すきっかけになれば、安い投資です(^^)
ってなわけで、
どうせ同じお金を掛けるなら、
ただプレゼントするのではなく、
子どもを信じて投資する!!
これ、オススメです(^^)
遺伝はどこまで通用するのか…
こんにちは
sho-ichです。
最近ブログが全然更新できてなかったので、しょーもない内容ですが、ふと思ったことを…!!
実はワタクシ大学3年生の時にいわゆる「おめでた婚」(当時はまだ世間的には「できちゃった婚」ってヤツでしたかね)をしておりまして、息子は中学生です。
いわゆる思春期というやつです。
ちなみにウチの嫁はキョウダイも親戚もたくさんいるんですが、キョウダイやイトコ、甥や姪の男女割合がとんでもなく女性の方が多いんです。キョウダイは7人中男は1人。イトコは8人中3人、甥や姪も8人中3人(こないだまでは7人中2人だった)。
前置きはこの辺にしておいて、
そんなわけで、息子と歳の近い親戚の男の子は高校3年生の子と大学生の2人しかいないんですけど、
2人とも…
彼女がかわいい…
ウチの息子…
なんだか頼りなく…
間抜けな感じなんだけど…
どうせなら
かわいい彼女連れてきてくれるといいなぁ…
という、
どうでも良いハナシでした…(⌒-⌒; )
台風と男と女
sho-ichiです。
先日の15号に引き続きまたも大型の台風接近…!!
なんと我が家は本格的に台風が近づく半日も前から一時停電になってしまいました…
(僕の住んでいる辺りは一旦復旧してるけど、地域によっては停電が続いています…)
しかし、
それをきっかけに
「今回は本気でヤバいかも…」というスイッチが入りました。
風はまださほど強くないものの外は大雨です。
しかし、慌てて家の外の自転車や鉢をずぶ濡れになりながら必死で家の中に避難しました。(飛ばされて誰かの家を壊したりしては大変だし!)
妻は停電の中、水が出るうちに…
と鍋でご飯を炊いていたんですが、ずぶ濡れになって家に戻ると、
「ご飯まだかかるから、今のうちにお風呂に入っちゃいな」とのこと。
(この時には電気復旧していたので)
我が家は共働きで、
普段平日は週交代で食事を作っています。
(1週間はまるまる僕が朝夕食事を作り、翌週は妻が朝夕食事を作ります)
そんなわけで休日は、食事の準備なんかは一緒にやらされることが多いのですが…
食事の準備を買って出てくれたことがちょっと意外でしたw
逆に僕の方も、
大雨の中外に出て作業をするのは苦では無かったというか、
なんとなくアドレナリンが出はじめているような、
不謹慎な表現かもしれませんが、
ちょっぴりワクワクするような感じを覚えていました…
普段は男女平等という現代社会の規範にバッチリ適応して活動している我が家ですが、
極限状態に直面すると、どういう行動に駆り立てられるのか、
という観点については、
男が外で危険を冒してでも家を守り、
女が中から生活を守る…
みたいな性差があんのかな~
なんて思った
台風直前の朝でした。
台風被害、大きくなりませんように(><)
表現の自由について
こんにちは
sho-ichです。
「表現の不自由展 その後」について、
さまざまな意見が展開されていますが、
この社会現象そのものが、
まさに「表現の不自由展」で表現したかったこと…
すなわち、「表現の自由とはなんなのか?」を問うことになっていて、批判する人の声の大きさをも利用して、より多くの人に主張を届けるという、
なんとも秀逸な表現技法だな…
と結構感心しています…!!
やっぱ芸術の力ってすげぇな。。。
さて、
個人的には、管理主義的な社会よりも自由主義的な社会で暮らしたい派ではありますが、
そういった個人の主義主張を介さずに、
そもそも国家とは?表現の自由とは?
ということを、ロジックだけで紐解いてみたいと思います。
立憲主義
そもそも近代国家は立憲主義の立場を取っています。すなわち、憲法が最上位にあって、国家もその法に従う、という原則です。
この逆は絶対王政などがそうですが、国家や国家元首が自由に法律を作って国民を統制したり、場合によっては裁いたりできる体制です。
近代社会は、市民革命等を経て、この体制を変え、自由を獲得してきたということが、教科書的な歴史でもあります。
憲法と法律
憲法と法律の違いを混同している人も多いと思いますが、この2つは法という意味では同じですがその性質は全く異なります。
先に述べたことにも関連しますが、憲法は権力の強い国家が、国民に不利益をもたらすような統治を行えないように、国民が国家に課した約束です。そして法律は、その国民との約束である憲法をもとに国家が作り、国民(の意思を代表している国会議員)の承認を得ているから、国民に対して効力を発揮します。
自由とは何か
日本人はこの、政治や法律の話の際に出てくる「自由」という概念を誤解して理解しがちだとされます。市民革命で市民(国民)が獲得した自由とは、国家からの自由を意味しています。すなわち、自分の経済活動や婚姻、言論などの権利を縛られない、ということが「自由」の意味です。そして、国家は憲法に基づいてこれらの権利の行使を保障しなければなりません。
表現の自由とは
表現の自由もまさに憲法で保障された権利のひとつです。表現の自由とは、それぞれの人が自分の思ったことを言ったり書いたり表したりして良いということであるとともに、その権利を国家によっては制限されませんよ、という意味が内在しています。
また、むしろどのような意見も公共の福祉に反しない限りで、国家はその機会を保障もしなければいけないのです。
ロジックから導かれる結論
「表現の不自由展 その後」に対しては、不快に感じる人もいることでしょう。そして、反対を表明する権利ももちろん保障されています。
だから、内容の良し悪しはここでは論じませんが、「公費を使っているからあの表現はいけない」とか「国家をおとしめる反逆だ」みたいな意見、また、それらを根拠とした交付金の交付取り消し、というような政治判断は、適切ではないと思います。
なぜなら、そもそも表現は国家に制限されてはならないわけですし、むしろ国家はその機会を作らなければいけないからです。
公費は使って差し支えないし、一度決めたものを取り消して表現の機会を奪うようなやり方はNGということになります。また、これらの表現に批判的なメッセージが込められているか否かはそれぞれの解釈によりますが、少なくとも誰か特定の市民に向けられた批判というよりは、込められていたとしてもそれは、まさに国家や体制などに対する批判であろうと考えられます。
繰り返しになりますが、国家が国民を縛ることができないようにするための自由とは、そもそも国家に対して反対意見が表現できる、ということなのですから、これは抑え込んではいけないはずです。
さいごに
だから、国家(行政)が本来やるべきことは、特定の主張を持つ表現に公費を出さないようにすることではなく、
むしろ、より多様な表現に公費を出すこと、であるべきです。
「表現の不自由展 その後」に公費を与えないのではなく、「表現の不自由 その後」に対して反対する運動や活動にも公費を出して、その意見を表現する機会を保障することだったと思います。
そうすることが、反対意見者からのテロ行為の抑制にもなるし、国家の懐の大きさを示すことになると思うんですけどね。
現状は愛知トリエンナーレ側がそういったディスカッションの場を設けたりしていて、
一枚上手な感じがします。
まぁ、僕は反対派じゃないんで全然いいですけどねー。
今回は少し難しい話になっちゃいました(-_-;)
「●●は悪くない」③ ~授業中話聞かないヤツは悪くない~
こんにちは。
sho-ichiです。
「●●は悪くない」シリーズ第3弾!
民間企業→教員という経歴の私。
まぁ、意外性のない「いかにも、らしい」という論旨になりますが、
やっぱり日頃思うので、記しておきます。
つまらないから聞かない
前職では、逆に学校がお客様でした。
頻繁に学校にお邪魔して打ち合わせや納品などにも伺いました。
導入するものがシステムだったりすると、
使い方をレクチャーするための研修会なんかもよくあります。
そういう時、
当然ながら先生方だって、講師の話は大体聞いてないよね。
寝てる先生もいるし、隣の席の人とコソコソ話してる人もいるし、業務のついでで離席したように見せてそのまま帰ってこないとか…
別に「先生のくせに」と責める気持ちは微塵もありません。
いつも言っていますが、人間も動物なので生理的な反応(眠くなるとか、注意がそれたり不安になると他者と共有したくなるとか、焦りを感じるとおとなしくしていられないとか)にはあらがえません。
基本的に、人間は自分の理解できない話や関心の無い話、価値を見出せないものに対して興味を維持することは難しいですし、また、そもそも黙って座り続けていることもあまり得意とはしていません。
聞かせる工夫、もしくはフォローの体制を構築せよ
そんなわけなので僕としては
自分のことを棚にあげて生徒に「人の話はちゃんと聞け!」みたいなことさえ言っていなければ、研修会で一部の先生が寝てしまったりソワソワしてしまうことはしょうがないかなと思っていました。
(正直、若干割合は多いな…という印象はりましたが…)
だって研修会では先生方はお客様ですもん(笑)
しかし、先生方が寝てしまったり不在にしてしまったりして研修内容を理解いただけず、導入してもらったシステムを利活用してもらえないと、売った側としては申し訳ありません…
そのためにどうしていたかと言うと、
①講習講師には少しでも先生方が前向きに取り組めるよう、分かりやすく面白みのある講習を心がけてもらう。(メーカーさんによっては必ず若くてかわいい女の子のインストラクターを付けるようにしているところもあったなぁ…)
②それでも生理反応にはあらがえないので、講習会後にも必要なことがわかるよう、マニュアルを作成したり、ヘルプデスクを設けて随時問い合わせしてもらえる体制を用意したりする。
とまぁ、
当然このような体制をしいていました。
もちろん
少なくとも現状の日本の教育制度は一斉授業方式がまだまだ主流なので、
あまり極端な場合分けや個別対応は出来ないでしょうけど、
少なくとも
①より多くの生徒が関心を持って聞けるような工夫をしたり
(内容しかり、話し方やユーモアの活用などしかり)
②なぜ前向きに取り組めないのか、原因を把握し解消する努力をする
ことは、学校でもマストだろうと思います。
学校の仕事は授業を受けさせることではなく、生徒を教育された状態にすること
さて、そんなことを言うと、
「もちろん授業改善の工夫はしている!」
「生徒の課題もキチンと把握している!」
というお叱りも受けるかと思います。
いえいえ、もちろんできている先生方もたくさんいると思います。
しかしながら、やっぱりそれでも「聞かない生徒が多い」場合、
どうも学校現場では「生徒の質」ということにしてしまう風土があるように感じてならないのです。
例えば「今年の〇年生は落ち着きがない」とかそんな具合にです。
学校の仕事、
というか、そもそも仕事と言うのは、
「自分が決められたことをこなす」ということではありません。
「対象が決められた状態になる」という結果をもたらすことが仕事です。
物理の教科書にも
いくら力をかけて汗をかいても、対象が動かなければ仕事量はゼロって書いてありますよね(笑)
だから、
結果として「生徒が授業を聞いていない」っていう状態になってしまっていたら、
(正確には「授業を聞いていないから授業で扱った内容を理解していない」という状態になっていたら、ですね)
それはもう、学校の責任で改善を目指すべきだと思うわけです。
もちろん先生個人レベルの対応ではなく、学校という組織や体制をうまく工夫して、その生徒の質にあった対策を講じて、
「指導スタイル」を一定にするのではなく、「教育結果」が極力一定の水準を超えられるように、努めるべきだと、日々思って学校運営の在り方を模索しております…
ちなみに仕事論については以前こんなことを書きましたのでご参考まで!
newedu.hateblo.jp
newedu.hateblo.jp
ちなみに、初回の投稿で、
そもそもどんな教育像を持っているのかもちょっと語っています…(><)
消費税の増税が経済にとって良くない理由 〜超簡単解説〜
こんにちは
sho-ichです。
10月から消費税が10%になりました。
よく考えると簡単にわかることなんですが、
消費税の増税は経済を非活性化させるので、基本的にはあまりよくないです。
政治的には僕も増税の判断はしょうがないと思うし、受けいるてしかるべきだと思いますが、
(だって政治家は選挙で自分達で選んでるんだからさ)
こういった意見を聞きます。
「人口も減ってるし、医療や福祉のために消費税の増税は仕方がない…」
これは、正しくありません。
税収を上げることは間違いなく必要です。
支出が増えてるのですから。
しかし、その手段が消費税である必要はあるでしょうか??
消費税で税収を上げる、というのは、あくまでも政治判断であって、唯一の選択肢ではありません。
別に本当は法人税の増税でも所得税の増税でも、住民税の増税でも、なんでも良いのですよ。もしくは、経済が活性化して税収が増えればそれでも良いのです。
ここで考えてみましょう。
ものを買う時に税金を払う(消費税)場合、
ものを買う、すなわち消費行動は確実に減速しますよね?
では、
ものを売って儲かった時に税金を払う(法人税)場合はどうでしょう?
儲けは減りますが、それによって事業活動を控えることはしませんよね。むしろ仮に同じ利益を得ようと思ったらより売り上げを増やさなければいけないので活性化せざるを得ないかもしれません。
なんなら消費税を下げて法人税をあげたほうが、事業活動は活性化するし、消費時の支出も下がるので購買意欲もあがるはずです。
経済はこっちの方が活性化するんですよ。
まぁ、ただ、消費税を下げて法人税を上げることのデメリットもあるので、
以下に挙げておきましょう。
別に僕は消費税増税に反対ではありません。
ただ、賛成の人も反対の人も
正論だけかざしていても答えは見えないと思っていて(人それぞれ立場も違うし)
でも、今の政治がどこを向いて行われているのかは、こういったことを考える視点を持てば、見えてくるんじゃないかな、と思います。
デメリット
・企業が法人税の安い海外に出てしまい、日本の資本が流出してしまう可能性がある
・大企業からの反感を買うと政治の支持基盤を失う可能性がある
まぁ、
租税って、誰から集めて誰に配るかって話しなんだけど、
消費税みたいにみんなから一律に集めると、不満はかわしやすいですよねー。