この世の真実[平行世界] ※スピリチュアルじゃありません(⌒-⌒; )
どうも。
sho-ichです。
今日は哲学的なお話。
僕は高校生の時心理学に興味を持って、
それで大学はいわゆる人間科学系の学科に進学しました。
2年生以降はそれぞれの専攻に分かれるんですか、1年生の時に基礎科目として履修していて面白かったのが哲学!!
流石にそれを勉強してどういう自分自身の将来が描けるのかわからず専攻はしなかったけど、今でも哲学的に様々な事象について考えることは好きです。
この世界は1つではない
こんなことを書くと「あ、この人ヤバい人だ…」と思われるかもしれませんが、
哲学の世界ではとても一般的な考え方の1つに「この世界を知覚している私が存在しなければ(私にとっては)この世界は無いのと同じだ」というような考え方があります。
簡単に言うと、
日本や地球は1つとみんな知ってはいますが、あくまでも自分が関われる世界は、自分の目で見える範囲だけですよね。
アメリカにいる誰か別の人が経験している世界は、直接知覚することはできません。
究極的には、人間(だけじゃないかもしれないけど)の数だけ、その人から見える世界が存在していて、それらが同時にたくさん存在している、と考えることもできるわけです。
複数の世界を行き来している
まぁ、今の話はそこそこ理解していただけるかと思います。というか「なーんだ、そんなことかよ。当たり前じゃん」くらいな感じですよね(⌒-⌒; )
今回書きたいのはその発展系です。
僕は、ひとりの人間でも実際には複数の世界を行ったり来たりしながら生きている、と考えることができるんじゃないか?と思うんです。
小さい頃とかに、漫画やゲームに影響されて、「起きてる時は思い出せないだけで、寝ている時は夢の中の世界にも自分の人生があるんじゃないか…?」なーんて、考えたりしませんでしたか?
こんなこと考える子ども嫌ですかね…(⌒-⌒; )?
僕は結構考えてたんですが…
もっと一般的な例で言えば
現実のことを「実は夢なんじゃないか??」と疑う時ってありますよね??
もし現実だと思っていた世界が夢で他に本当の世界があったら、複数の世界を生きていることになりますよね?
現代人はデジタルの世界もリアルに生きている
さて、夢の話ではありませんが…
以前『ドラゴンクエストユア・ストーリー』の記事を書きましたが、あれはまさに、「本当の自分」と「VRの中の自分」、どちらも自分にとっては大切の自分なんだ!というような主張で終わってますよね?
先日リリースされた『ドラゴンクエストウォーク』や、『ポケモンGO』を考えてみてください。
アレって完全に、リアルの世界とゲームの中の世界を行き来していますよね?
リアルの世界を歩き回って、ゲームの中のモンスターを倒したり捕まえたりしています。
僕も先日わざわざボストロールを倒すために2kmくらい先にある公園まで走って行きました(⌒-⌒; )
レアポケモン出現で集客に繋がったお店とかもありますよね。もはや、デジタルの世界はリアルなんです。
それだけじゃありません。
「なーんだ、ゲームの話かよ…」と思ったそこのアナタ!
例えば、映え写真を撮るために旅行する人は、デジタルな世界でのアイデンティティを満たすためにリアルの世界で行動しています。
ブロガーの皆さんも、通勤中とか、トイレ中とか、リアルな生活をしながら、このデジタルのコミュニティに書きに来て、アクセス数に一喜一憂していますよね?
[平行世界]を生きられるのは人間の特徴
実はデジタルに限らず人間は複数の世界を生きるという能力を持っています。
それは人間の「想像力」と、それを他の個体と共有できるという動物としては特殊な能力に起因しています。
そもそも人間ほど、未来のことを想像したり、宗教などの空想の物語を構築できる動物はいません。
だいたいの動物は、ただ、その瞬間を生きています。
※食料をとって置いたり、他の個体を欺いたりする動物もいるので、全くではないですが
例えば皆さんは
何か特定の宗教を信じていますか?
宗教じゃなくても、お化けやUFO、
或いは都市伝説でも、近所の噂話でもOKです。
多くの動物は、自分自身の目や耳、触覚から入ってきた情報をもとにこの世界のことを知覚します。
しかし、人間は、自分の五感で知覚した世界に対し、常に自分の脳で構築した想像の世界を合成して世界を知覚します。
良いことがあったのは神様のお陰だ、とか
音が聞こえたのは幽霊がいる証拠だ、とか
直接会ったことは無い芸能人がどんな性格であるか知っているような気がする、とか
そういったふうにです。
だから実は、人間は常に現実の知覚の世界と、平行して自分の頭の中の想像の世界を行ったり来たりしているんです。
そして、その「想像」を個体間で共有する仕組みが、文字だったり、インターネットだったりするわけですね。
だから、文字やインターネット上のゲームやコミュニティなどプラットフォームを通じて「人」が集まる場があれば、それは、一つの世界とよんでもいいんじゃないかなと
僕は思っているのでした☆