昭和男子の令和時代攻略法

幼少期は友達ゼロ人。だけどゼロから作品やイベント、そして組織を創ることかできるようになった昭和男子のマイライフ!

たった1つ知っていればOK!最強のメンタル法則 〜認知的不協和理論〜

どうも

sho-ichです。

 

前回の投稿でも書きましたが、

僕は大学時代心理学を学んでいました。

(専攻は違うけど)

 

大学院の協力研究員(まぁ、ただのボランティアです)として、認知行動療法の研究に関わらせて頂いている今でも、

「人の心を把握する最も本質的な法則だ!」

と個人的に密かに思っている理論を紹介しますね(^^)

 

 

心と身体は常に一致したい

つまるところ、こういうことなんです。

人間の感情と行動は常に一貫性を保とうとします。

嫌な相手には嫌だという態度を取りますし、気の進まない仕事はダラダラとやってしまいがちです。

 

え、なにそれ?

当たり前じゃん…

 

と思ったあなた、ここからですよ(^^)

 

これ、実は逆も起こるんです。

要するに、嫌な相手とでもまるで仲良しかのように振舞っていると、嫌な気持ちが好意的な気持ちに変化したり、

気の進まない仕事もやっているうちに真剣になったりするんです!!

 

 

心の安定を守るための心理システム

ちょっと極端な例ですが、犯罪心理学の研究領域で、囚われた人質が誘拐犯を好きになってしまうことがしばしば起こることが確認されています。

 

あり得ないと思いますよね?

 

これはなぜ起こるかというと、人質はとてつもなく大きな恐怖にさいなまれます。しかしながらその恐怖から逃れることができません。人質ですから…

そうすると人質は恐怖心で精神的に危険な状態に陥ってしまいます。そういった身の危険を回避するために、恐怖心を好意の気持ちにすり替えるのです。

そうすることで、誘拐犯と一緒にいなければならないという精神的に危険な事態を、好きな人と一緒にいるという安心な状態にすり替え、自己の精神を防衛するのです。

 

にわかには信じられないと思いますが、人間には様々な自己防衛システムがプログラムされています。例えば出血多量になると、毛細血管が収縮し出血量を減らそうとするために青ざめます。また、場合によっては意識を失うわけですが、それも活動量を制限することで余計な出血やエネルギーの浪費を避けるために起きる現象です。

出血多量と言う瀕死の状態で動けなくなることの方がリスクのように、現代人には感じてしまいますが、何万年もの進化の歴史の中で培った心身の反応はそう簡単には変わっていないのです。

 

 

認知的不協和理論

さて、本題に戻りますが、

認知的不協和理論とは、フェスティンガーという心理学者が提唱した理論です。

彼が行った実験は簡単に言うと以下のようなものです。

 

つまらない単純作業を行ってもらった被験者に「面白い作業だったよ」と嘘をついてもらいます。その際、高い報酬を与えたグループと、少額の報酬しか与えないグループだと、少額の報酬しかもらっていないグループの方が、本当に面白いと感じた度合いが高かったという内容です。

 

要するに、

高い報酬をもらっているグループは「本当はつまらなかったけど、高い報酬をもらっているから仕方ない」と割り切れるわけです。

しかし、少額しか報酬をもらっていないグループは、本当はつまらなかったのに「面白かった」と発言している自分の言動との整合性が取れず、不協和を感じるわけです。

 

そこで、「実際に面白かった」と感じることで、「100円しか報酬はもらえなかったけど、思ったよりも面白かったから(とかいい経験になったからとか)まぁいいよね」と自分を納得させるのだと言われています。

 

 

これ1つで基本的な心の動きを予測できる

さて、ここまでは、ただの知識です。

非常に有名な理論なので知っている人も多いハズ。

 

そこで、僕がどのようにこの理屈を応用しているのかを少しだけ紹介したいと思います。

 

例えば、

冒頭に述べた気の進まない仕事もやっている内に真剣になったりする件ですが、

もちろんただダラダラと気の進まない仕事をやっていても、一向に真剣にはなりません。なぜなら、「気が進まない」という感情と「ダラダラやる」ことの間に一貫性があって不協和が生じないからです。

人質の例や、フェスティンガーの実験のように、

感情とは異なる態度を本人に取らせる必要があります。

例えば、気が進んでいない当人に敢えて部下を付けて、当人が自分の仕事の意義ややりがいを他者に説明しなければいけない状況をつくる、などが有効かもしれません。

「役割が人をつくる」なんて言ったりすることがありますが、それはまさにこう言うことなのかもしれませんね。

 

また、

「勉強しようと思ってたのにお母さんに“勉強しろ”と言われてやる気が失せた」

みたいな話もよくありますが、これも同じように説明できます。

人から「●●をしろ」と言われるということは、

自分がそもそも「●●をしたくない」と思っていないと、言われている状況と自分の感情の整合性が保たれないですよね。

 

最後に公民の教員っぽい例を出しますが、

倫理や現代社会で勉強する防衛機制」もこの認知的不協和理論で説明できるものが多いと思います。

例えば合理化や投射、反動形成などは、すべて心と体の状態の一貫性を保とうとする心の動きとしても捉えられます。

 

合理化はわかりやすいですね。

例えば欲しいと思ったものが手に入らなかったとき、「もともとそれほど欲しくなかったから別にいいんだ」という風に合理的な理由を用意します。

ずっと「本当は欲しいのに!」と思っていると辛いので、「欲しい」という気持ちを「手に入らない」という現実に即して変更したわけです。

 

投射は自分が思っていることを相手が思っていることとして置き換えることですが、

例えば相手のことがとても嫌いだとします。しかし、一方で人間は「自分はいい人でありたい」とも思っています。「いい人でありたい」という気持ちと、「相手を嫌いだ」という気持ちが矛盾していると不協和状態に陥るので、「いい人なんだけど、相手の方が自分のことを嫌いだから、自分も嫌いなだけだから仕方ない」というふうにバランスを取るわけです。

 

反動形成は投射に少し似ていますが、

好きな人に意地悪しちゃうみたいな、本当の気持ちとは逆のことをしてしまうというやつです。これは、もちろん「自分の気持ちを悟られたくない」ということもあると思いますが、なぜ悟られたくないのか?それは「好きだけど、相手にそれが受け入れられなかった時にショックだから」ですよね。

「相手に受け入れられないに違いない」という気持ちが強くなってしまうと、受け入れられないのに好きだという気持ちを持つことが不協和を生んでしまうので、好きではないような行動をとることで一貫性を保とうとしてしまうとも考えられるのです。

 

 

相手の心に揺さぶりをかけて行動を促す

さて、認知的不協和理論でなんとなく心と体の関連に納得いただけたなら、

後はそれをどう使うか、ですね。

 

僕は相手の行動をコントロールしたいと思う時に、この原則を用いています。

 

なーんていうと、ちょっと嫌なヤツっぽいですよね…(^^;)

 

違いますよ(^^)

ようは、相手にキチンと期待をかけるということを徹底しているという話です。

相手に「こうしろ!」「ああしろ!」と言っても、「勉強しなさい」と言われてやる気をなくすように、むしろ逆の反応が起きます。

 

そうではなく「すげーじゃん」とか「さすがっすね!」とか、相手を肯定する言葉かけをキチンとするようにしています。そうすることで、うまく「この人は自分のことをすげーと思ってくれてるんだな」と思ってもらえるようにします。

それがうまくいって「自分は価値ある人間だ」と思ったもらえたなら、それと一貫性の無い望ましくない言動が起きづらくなるというワケです。

 

「褒めて伸ばす」ってのも、要するにこう言うことだと、

僕は思っています。