「NHKをぶっ壊す」と日本国民の生活もぶっ壊れる?
どうもsho-ichiです。
さて、今回は一斉を風靡したキラーワード「NHKをぶっ壊す」について感じた自分なりの違和感についてお話しします。
予め断っておくと、
僕はスクランブル放送を主張することは悪いことだと思ってないですし、
また、立花さんのプレゼンは、
キャッチーなコンセプトを用いてユーモアにも溢れており、主張も自身の経験に基づいた明快なもので、国政選挙の舞台であのスタンスを貫き通ししっかり自己主張をし、キッチリ結果まで出すという点において、リスペクトさえ感じています。
ただ、「公共放送のスクランブル化」という主張で国会議員になれた、という現実に若干の違和感というか危機感を感じたことも事実なので、そのロジックを紹介させていただきます。
国会議員とは何か
当たり前のことですが、国会は日本唯一の立法機関で、法律を作ったり予算を議決したりするのが仕事です。
実際に政治を担うのは役所などに勤める行政マンですが、国の方針を決め、ルールを定め、国家を良くするためのお金の使い道を決める国権の最高機関です。
さて、では国家を良くするとはどういうことでしょうか?
これは一般論ですが、現代では多くの先進諸国が、国民の文化的な生活の安定を目指し、社会保障の充実した福祉国家を目指しています。
国民の基本的人権が尊重される社会です。僕は生まれた時からとっくに民主主義の定着した社会で生きてきたので、それが実現される「良い国」で暮らしたいなと思います。
繰り返しになりますが、国会が行うことは法律を作ることと予算の配分です。福祉国家では、税金として国民から集めた富を、全ての国民が文化的な生活を送れるよう再分配することが大切な仕事の一つです。
公共放送とは何か
さて、今度はNHKのことを考えてみます。NHKは国営放送ではありませんし、民営化されていますが、公共放送としての役割を担っています。
一民間企業が公的な役割を独占していていいのか?などの意見をお持ちの方もいると思いますが、現状ではそういうことになっているはずなので、そこは前提として進めます。
例えば、災害時の情報発信や、それこそ選挙に関する放送など、国民にとって必要な情報の発信を行なっています。また、教育テレビ(Eテレ)などを通して、国民の教養を高めたり、学術的な研究や調査に協力したり、広い意味で国家全体の安全・安心や文化の発展に寄与しようという活動を行なっています。(ここも「そもそもそんな活動必要ない」とか「無駄なつまらない番組ばかりやっている」とか、実際のコンテンツに対する批判は今回は考えないものとします。)
あくまでもNHK=公共放送=国民全体の利益に寄与する事業を行なっている
という前提が正しいと仮定します。
(しかしどうしても現状のコンテンツに対しての不満が気になる場合は、「中身の改善は必要だとしても公共放送という者そのものは社会にあるべきだ」ということを前提にします。)
「自分の分だけ払えばいい」のか
さて。現代は民主主義×資本主義が発展し、自由主義的、個人主義的な考え方が定着、そして「個人の自由」は最も尊重されるべき事柄のひとつになっていると思います。
もちろん僕も「個人の自由」が尊重されることを最も重視しているし、それを侵害されることが一番嫌いです。
初回のブログに書いた通り「みんな同じ」ように強制されることが嫌いで、敢えて通信制高校というフィールドで個性や自由を重視した教育活動をしてるくらいですから。
しかし、「個人の自由」は公共の福祉に反しない範囲で最重要視されるものです。現代では「最強」となった「個人の自由」も、「公共の福祉」よりは優先されるべきでないはずなのですが、資本主義社会では経済活動の原理が最も身近となるため、政治において最も重視されるべき「公共の福祉」について、一般の国民にとっては身近な問題として認識しづらい状況にあります。
極端な例を挙げます。
例えば現代は少子高齢化が進み、将来は年金制度が崩壊するかもしれない、支払った分が戻ってこないかもしれない、と言われています。
そういったことから、年金を払っても損するから払わずに貯金しよう、と国民みんなが言い始めたらどうなるでしょう?
当然予定よりも早期に年金制度が崩壊します。現時点で年金を受給している方にも年金の支払いがストップするかもしれません。もしかする税収が激減して医療保障制度も解体するかもしれません。
しかし、その家族は見殺しにできませんから、自分の年金は支払わなくていいかもしれませんが、親や親族のために仕送りをするかもしれません。
その資金が無い場合はその時点でゲームオーバーかもしれません。もしあったとしても、高額な医療費が必要な病気にかかってしまったら大きな借金を抱えてしまうかもしれません。退職金をアテに仕事を退職したものの、その後の再就職先が見つからないまま、税収不足のため失業保険さえ出なければ、本人もここでゲームオーバーです。
そんな国では国民が安心して生きてはいけないので、資本主義社会のもとではある程度資本の差は生じてしまうけれども、少なくとも国民全体が文化的な最低限度の生活は送れるようにするのが、政治の役割であるはずです。
国会議員には国民全体の利益を優先する人が選ばれて欲しい
あくまでもスクランブル放送を主張することは悪いこととは思いません。きちんと議論されて、決まれば正直どっちでもいいと思います。
ただ、「必要な人だけ払えばいい」と言って、その支払いをしない人が増えて、NHKの資金調達が立ち行かなくなって、地方のNHK支局が無くなって、その地域の人たちの情報レベルが下がったり、万が一災害が起きた時の情報が入らなくなったりしたらどうなるんだろうか?
という想像力が持てない人よりは、そういった自分とは立場の違う人への配慮ができる人に、僕は国政に携わって欲しいなと思います。
そういった意味で、
公共放送なのに、見たい人だけお金を払えば良いというロジックの主張で政治家になれる、ということが、(あとは有権者がそういった観点で選ぶということも)なんとなく腑に落ちなかったわけです。
他にも郵便局なんかも地方は赤字拠点が多かったりします。公共交通機関とかもそうですよね。でも、使いたい人だけでお金を負担すればいいなんて言われたら、地方は立ち行かなくなります。
市場原理が通用するのは、あくまでも市場が豊かな場合に限ります。政治家、ましてや国会議員ともなれば、そういった視点を持っているということが確認できないと、心配だなぁと思いました。
※個人的に郵政などの民営化は反対なわけではありません。学校という職場で働くようになって(私立なので厳密には違うけど)改めて確信しましたけど、お役所仕事っていうのは本当に効率が悪い!!それはまたいつか書きましょうw
余談
ちなみに、スクランブル放送が本格的に実現したら実際どうなるんでしょうね?
支払う人の絶対数が減って、支払う人は負担が増えるのかな?
でももし仮に値上げしてもそのせいで更に加入者減ったら結局減収になる可能性もありますよね。
でも、公共放送だし、減収になったらなったで、税金とか投入されて維持されると思うんですよね。そうなると、今はまだ「俺は払わん!」とか言えるけど、税金回されたらもうそういう主張すらできなくなって「払わない権利」さえ無くなっちゃうのでは…?
と思うので、むしろNHK見ないから払ってない人の方が損するよねw
ってゆーか。
NHKの収入ってほとんど大半が受信料なんですよ。ってことは、当たり前だけどスタジオの建設費とか、もっと当たり前だけど放送するためには番組収録したりカメラとか機材買ったり、職員の給料とかも、もちろん受信料からまかなわれてるわけですよね。
「見てないから払わなくていいんですよ!」
って言いながら
受信料払ってる人たちのお金が投入されて作られているNHKの政見放送出んなよw
筋が通ってねぇじゃねーか!!
とは思いましたw