昭和男子の令和時代攻略法

幼少期は友達ゼロ人。だけどゼロから作品やイベント、そして組織を創ることかできるようになった昭和男子のマイライフ!

今日の迷言 vol.3

どうも。

sho-ichです。

 

毎日更新するための、

サクッとブログコーナー「今日の迷言」!

 

人生に迷った時の、ちょっとした拠り所になれたらこれ幸い(><)

 

さーて、今日の迷言は…

 

 

問題が起きたら原因は全て自分のせい

 

です。

 

えー!ちょっと厳しい…

 

ですよね…(⌒-⌒; )

 

いえいえ。

なんでもかんでも自分が悪いから、

謝りなさい、みたいなことではありません。

喧嘩両成敗みたいなことでもありません。

 

 

要するに、

何か問題が起きた時には、

必ず「自分側の要因」についても振り返りましょう、ということです。

 

もちろん、問題解決には社会的に決められた方法での解決もありますし、不当に不利益を被る必要はありません。

あくまでもマインドの話です。

 

何かあるたびに相手のせいや、環境のせいにする人がいます。

もちろん本当に相手や環境が悪い場合もあります。

しかし、自分以外の何かが悪いことにしてしまってばかりいては、現状は改善しません。自分自身も成長しません。

 

「自分にも原因があったんじゃないか…?」と謙虚に考えることで、同じような問題に直面しないよう、その問題から学ぶことができるのです。

 

悪い相手や、悪い環境を、

自分の工夫で避けられなかったのか?

という具合に。

 

 

だから、

もちろん問題に巻き込まれたり、

ましてや、自分のせいじゃない時にはその怒りを周囲に向けがちですが、

落ち着いたところで、

ふと振り返り、自分自身の中の改善点を見つめ直すことは、

大切なことだと思いますよ(^^)

今日の迷言 vol.2

こんにちは。

sho-ichiです。

 

長い文章が書けない時の 「今日の迷言」。

何かに迷った時…少しでも参考になれば幸いです!!

 

さて、大人になってみると、ものごとを判断するための自分なりの価値観みたいなものがようやく確立してきましたが、

若い頃ってそれがなくて、色々な場面で悩んだり迷ったりしながら成長しますよね。

 

今振り替えってみると、僕が自分なりのマイルールとして初めて確立した価値観がこれだった気がします。

 

さーて、今日の迷言は…

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やらないで後悔するよりもやって後悔したほうがいい

まぁ、よく言われることなので目新しさはありませんが、今日はなぜこれがいいのかを解説したいと思います。

さて、
何かを決心してチャレンジしてみるか、チャレンジせず潔く諦めるべきか、

そうやって悩むことはとっても多いと思います。

 

そのとき人は何について悩んでいるかというと、

その判断が正解か不正解か、或いは成功するか失敗するか

という、

行為の結果や、それに伴って起きる変化について予測し、不安を感じ悩みます。

 

悩んでいるいざそのときは、当然その結果の是非について悩んでいるわけですから当たり前なのですが…


このときに持つべき視点は

「結論が出ること」と、「結論が出ないこと」そのものを天秤にかけることです。

 

ちょっと難しいですよね(^^;

言い換えると、悩み続けることと悩みを終わらせることを天秤にかけるのです。

 

そうすると、大概は悩んでるという心の状態自体がそもそも快の感情ではないので、

早く決着をつけることの方が優位になります。


また、「そもそも人生は限りある…」とか大きなことを言わなくても、

学生であれば学校はいつかは卒業の時が来ますし、仕事もいつかは区切りがきます。
悩み続けていると、有限な時間を棒に降ることさえあるわけです。

 

 

なんでも「必ずやった方がいい」わけではない

さてここで、わかるとは思うのですが、
結論は、悩んだら「必ずやってみた方がいい」わけではないと言うことです。

 

実はすっぱりと諦めをつけられることや、

人から進められて悩んでるだけで自分は実は気乗りしていない、

というようなことであれば、別にやらなくてもいいと僕は思います。


だから正確には

「すっぱりと諦められないでモヤモヤしてるくらいなら、やらないで後悔するよりもやって後悔したほうがいい」

が、今日の迷言です。

 

 

さて、皆さんの悩みはどうですか?

 

「やめておこう…」と思ったものの

どうしてもまたふと考えちゃう…

そんな時には、思い切ってやっちゃいましょう。

 

一番辛いのは、悩みを抱えて前に進めず、ずーっと苦しいままでいることのはずです。

思い切ることができれば、成功しても、仮に失敗しても、必ず前に進めます。

 

 

ちなみに、

「不安だからチャレンジできない…」

という人にこそこの考え方はおススメです。

 

「やるかやらないか」で悩んでいる時にはなかなか着手することができませんが、

「思い切ってやる」と決めてしまえば、

そのために必要な「勇気のマインドをどうやってつくったらいいか」には方法がありますので!

 

ですが、それはまたの機会に紹介したいと思います☆

 

 

過去の迷言はコチラ↓

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「●●は悪くない」② ~ラッパーみんなは悪くない~

Yo!

sho-ichiです。

 

さて「●●は悪くない」シリーズ第二弾!!

以前からHIPHOP話は書こうと思っていたのですが、

なんとなくこのシリーズで書けそうだったのでライトに書いていきたいと思います!!

 

 

なぜラッパーが悪そうに見えるのか

HIPHOPに詳しくない人でも、Zeebraさんの「悪そうなヤツはだいたい友達」という歌詞は知っている人が多いと思います。

そもそもHIPHOPアメリカの黒人ギャングがたくさんいるゲットーで生まれたカルチャーなので、アンダーグラウンドがルーツということは間違っていません。

 

しかし、実は日本にHIPHOP(ラップ)を持ち込んだ第一人者は、作家でもありマルチなタレント活動などでも活躍されている いとうせいこう さんです。また、KING OF STAGE、ジャパニーズHIPHOPの殿堂RHYMESTER早稲田大学のサークルがルーツです。

 

決して必ずしも不良の文化というわけではないのです。

 

それこそ冒頭のZeebraやKダブシャインなどUSのHIPHOPを知るアーティストたちが、日本の不良少年層にも響くカッコ良さをしっかりと確立したお陰で、「悪そうなヤツらにも愛される」ようになったというわけなのです。

 

 

HIPHOPマインドが活きる時代

さて、今回言いたいことは「悪いラッパーもいるけどいいラッパーもいるよ」「人はみんなそれぞれじゃん」ということを言いたいわけではありません。

 

今はとっくに悪くなさそうなラッパーもたくさんいることは、ある程度皆さん知っていることでしょうし。(興味ない人は知らんかw)

 

今回僕が主張したいことは、

「これからの時代はHIPHOP的な価値観が結構イイですよ!」って話です。

 

① 無いものは創る精神

最初に説明した通り、HIPHOPは貧しい黒人街で生まれたわけですが、何故そういった文化が生まれたかと言うと、当時アメリカで流行っていたディスコとかに黒人たちは貧しいから遊びに行けないわけです。

そこで、近くの広場とかに機材持ち寄って自分達でパーティーを開いて遊んでたわけです。(ブロックパーティー)そこでかけていた音楽やダンスがHIPHOPの要素として進化していくわけです。(DJ、b-boying、RAP…)

 

変化の激しい今の時代、何かに乗っかっているだけでは通用しません。

今存在しない新しい価値を自ら創りだす、こういった力はこれからの時代に絶対に身に付けなければいけない力だと思います!

 

② クリエイティブは「0から1」だけじゃない

以前別のブログでも取り上げましたが、HIPHOPは発祥がそもそもがパーティーなので、掛けられていた音楽は既にあるレコードです。

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パーティーで一番盛り上がるのは、曲の間奏(break)をDJがレコード2枚使って引き延ばしていたbreakbeatsで、そこで踊られていたダンスがbreakin'です。

 

HIPHOPのクリエイティビティというのは、

・もともとある曲をアレンジする

・そこにダンスやラップなど別の表現を重ねる

ことで進化してきたのです。

 

ビッグデータやAIの登場で人間は知識量や情報処理能力でコンピュータに勝てない時代です。人間にはクリエイティブな能力が求められます。

しかし、誰もが「0から1」を生み出すような飛び切りの芸術家にはなかなかなれません。

でも、「1」に何かを足したり掛けたりすることで新しいものを生み出す

こういった姿勢を身に付けることで、より多くの人がクリエイティブな能力を発揮することが出来るはずです!

 

③ 正解がないところに信念を持つ

ダンスにしてもラップにしてもそのスキルについて明確な評価基準が存在しているわけではありません。

いわゆる「バトル」と言われるお互いのスキルを見せあって戦う楽しみ方がありますが、

例えばbreakin'で言えば、アクロバティックなパワームーブを高く評価する人もいるし、音へのアプローチの仕方を中心に評価する人もいるし、フットワークの滑らかさやオリジナリティを重視する人もいます。

だから、様々なバトルイベントがありますが、それぞれのイベントで評価が全く異なるということもしばしばあります。

 

しかし、それがいいのです!

例えば競技スポーツとしての体操競技を考えます。

ちなみに実は僕、中高と体操やっていましたw

 

技それぞれに難度が決まっていて、また、減点ポイントも明確になっています。

もちろん色んな技がたくさんあるので一概には言えませんが、

そうするとどうしても、勝つためにはどの選手も高い難度の同じような技の習得を目指します。減点を避けるため、荒削りの面白い技などは公式大会では控えられがちになります。

演技の中での技の順番こそ違えど、選手は皆同じような演技をします。

だからこそ、誰が一番「上手だったか」が分かるわけですが…

 

それと違ってダンスなどHIPHOPのカルチャーに正解はありません。

しかし正解がないからこそ、「俺はこのやり方で勝ってみせる!」と、

それぞれのスタイルや信念みたいなものが根底にあるので、見ていて熱気を感じるのです。

 

この、正解がない中で、自分の武器は何なのか、自分はどうあるべきなのか、

しっかりと自問自答し、自分なりの価値観やアイデンティティを確立していくこともまた、変化の激しいこれからの時代を豊かに生きる絶対的な秘訣だと思います。

 

 

Peace, Love, Unity, Having Fun

最後に、HIPHOPの持つ4つの精神を紹介します。

まずは Peace と Love 愛と平和、大事っすよね。

 

そして Unity 団結や結束、協同

最後に Having Fun 楽しむこと

 

これからの時代は共生社会になると言われています。

多様な価値観が混在し、それぞれの人が異なるルーツや価値観を持ち、

それでいて一つの共同体として共生することが目指されています。

また、経済の高度化に伴って何のために生きるのか?働くのか?そのための意義や、お金のあり方も見直され変化してきています。

そんな時代にも普遍的な価値って、楽しむことだったりしますよね。

 

さーて、

どうでしたか?

ラッパー、ってゆーかHIPHOP

全然悪そうな感じしないでしょ?

むしろアカデミックな雰囲気さえ感じませんか??

 

HIPHOPは、実は人生を豊かにするとっても素晴らしい信念の宝庫なのでしたw

 

 

以前のブログで「いつかHIPHOPのこと書くだろう」と言っていたので書けてよかったw

↓この時 

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今日の迷言 vol.1

毎日更新しよう!と決意し、長い文章が書けない時の

「今日の迷言」はじめました。

 

さーて、今日の迷言は……

 

ラスボスは雑魚キャラを倒してから

 「迷言」ですから…迷った時の話です。

仕事など、やるべきことがたくさんあって

「何から手を付けよう…」

と思った時、あなたならどうしますか?

 

・期日の早いものから手を付ける

・優先順位の高いものから手を付ける

 

まぁ、この辺が王道ですよね。

 

僕の場合はもちろんこれらの大原則も加味しますが

もう1つの観点を用います。

 

それは

 

・作業コストの軽いものから片付ける

 

です。

 

さすがに期日が1か月も先のものまでやることはないですが、

 

数日先のものまで含めて片付けてしまいます。

総じてむしろ優先順位の低いものを先にやることになる傾向があります…

 

 

マルチタスクはパフォーマンスを低下させる

一応理由があります!

 

作業コストの軽い仕事から手を付ければ、

当然ながら優先順位の高いものがそれだけ後回しになってしまいます。

 

しかし、優先順位の高い仕事は概して作業コストも大きく、

また、なるべくしっかりと時間を掛けて納得いく仕事にしたいじゃないですか!

 

そうすると、

(少なくとも僕の場合は)

作業時間が想定よりも長くなってしまったりすることもあります。

 

もし仮に作業時間が長引いて、

期日が少し先だった他の仕事も並行して対応しなければいけなくなってしまったらどうでしょう?

 

実は人間の脳はマルチタスク(同時に複数のことを行うこと)は不得意です。

そうすると1つ1つクリアしていくよりも作業効率が落ち、余計に時間もかかり、質も低下してしまいます。

 

ということで、

僕はいつも、優先順位の高いラスボス的仕事に着手する時には、

近々対応する予定の雑魚キャラ的仕事を先に一掃してから満を持して戦うようにしています☆

 

ボスキャラと一緒にホイミスライム出てきたら

まず先にホイミスライム倒してからボスキャラ叩くでしょ?あれと同じですw

 

※仕事論をドラクエで説いていくシリーズも始めましたw ご参照あれ! 

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ドラクエ仕事論Ⅰ 〜「いい人材」を集めようとしてはいけない〜

どうも

sho-ichです。

 

一昨日、職場で中途採用の面接をしてきました。

 

僕は常々

「よく生きる術」はドラクエに詰まっている!

と思っているので、最後にはドラクエに置き換えて仕事論をまとめますね。

 

 

絶対的な「いい人材」は存在しない

採用面接をやると、

「今回はいい人でしたか?」と

ソワソワする社員がいます。

 

でも僕は、「いい人(材)」としての客観的なステータスは存在しないと思います。

 

組織における採用は

パズルのピース集めのようなものです。

 

今の組織に足りていないステータスを持ったピースを探すような感覚です。

だから絶対的な「いい人材」はそもそも存在しないのです。

 

「いい人材」にこだわり過ぎると、採用後もうまくいかないことがあります。相手に対して完璧を求めてしまい、採用した側も満足度が下がりますし、採用された側も期待した評価を得られずコミットメントが下がります。

総じて組織全体の生産性は下がってしまいます。組織に大切なのは円滑なコミュニケーションですから。

 

そんなわけで

良いか悪いかはわかりませんが、

少なくとも今の組織にはいない、クセの強いカラーの方だったので、採用通知を出しました。

他にも数社受けてるようなのでどうなるかわかりませんが、組織全体のパワーアップにつながれば個人のステータスはあまり気にしないのが僕のスタイルです。

 

 

全員勇者のパーティーは強くない

さて、このことはドラクエからも明らかです。

 

勇者は体力もあって、攻撃も守りも回復もできます。デイン系の特殊能力も持っています。ソロで見れば明らかに「いい人材」です。

 

しかし、全員勇者だとなかなか戦いを有利に進められません。戦士ほど火力が無いですし、補助系呪文をさほど使えないので攻撃力や守備力を上げて効率よく戦うこともできません。戦いは長引きがちになりますがMPがさほど高くないのでギガデインベホマズンも何発もは打てません…相手がデイン系に耐性あったりするともう大変…

 

良い組織というのは、

やっぱり戦士や武闘家がいて、魔法使いや僧侶もいて、時と場合に応じた戦い方ができるパーティーなのです。

 

回復役がいない組織には僧侶が「良い人材」になりますし、呪文に頼らず火力を上げたい組織には戦士が「良い人材」なのです。リサーチや分析を強化したければ盗賊でもいいかもしれません。

 

ルイーダの酒場では、

個々のパラメータよりも、

パーティー全体が強くなるように、いろんな人材を集めることを重視した方が良いのです。

 

ただし、

多様な人材を採用すべきですが、

「魔王を倒す」という目的だけはパーティー内で共有できる人間でなければいけません。

 

まぁ

中には途中で悟りを開いて賢者になる遊び人もいるかもしれないので、必ずしも悪くないと思いますけどw

 

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 ※全体的にⅢをイメージしながら論旨展開しました。

アーティストの未来 ~著作権について~

どうもこんにちは

sho-ichiです。

 

今日は全然専門分野じゃないんですが、

ふと思って、

「絶対そうなるじゃん!!」

と思ったので書きます。

 

むしろすでにそういう人いそう…

調べてもすぐには出てこなかったのでむしろいたら教えて欲しいです!!

 

 

著作権について

僕は学生時代にいわゆるブレイクダンスをやっていました。

(やっている人は本当はそう言いません。breakin'(ブレイキン)と言いますが。)

breakin'を含むHIPHOPシーンは、音楽に対してもしかすると少し一般的な見方とは違う見解を持っているかもしれません。

 

そもそもクラブでDJが流す音楽はDJの自作音源ではありませんし、様々なアーティストの音楽を流します。既存の音楽をお客さんが楽しめるようにアレンジして流すこと、それが彼らの役割です。

 

ラッパーがラップをするトラック(伴奏?)には、もちろんオリジナルのものもありますが、サンプリングと言って既存の楽曲の一部を引用して作ったものが用いられることもあります。

というか、クラブでDJが流している音楽に合わせてラップするのが起源なので、イカした既存音源を使うのがそもそものやり方です。

 

だから、

というわけではありませんが、

飲食店や結婚式場、各種イベントなどで著作権の問題があって自由に音楽を掛けられなくなってきているという今の現状に対しては、どちらかと言うと違和感を感じています。

 

 

著作者は損をするのか?

もちろん、音楽をそのままの形で転売したり、メロディーや歌詞をそのまま流用して自分の曲かのように偽ったりするような行為は許されるべきでないと思いますが、

キチンと購入した音楽を、他の人と一緒に楽しんだり、二次的に利用したりすることは果たして著作者の権利を侵害するのでしょうか?

 

先の例でいうと、

飲食店の商品は飲食物です。食べ物や飲み物を求めてお客様は来店します。

少なくとも店内でBGMを掛けるためにCDなりデータなり音楽を入手はしているわけです。それを、「勝手にかけちゃダメ」ってなってないと、著作者って損するんですか?

 

結婚式や各種イベントも、その音楽を聞きたいという人を集めて、その音楽を聞かせることでお金を取っているならバッシングされても致し方ないですが、結婚式であれば友人のお祝いのため、他のイベントも、そのイベントのコンテンツを楽しむためにお客さんは集まっています。BGMとしてかけられることで著作者って損しますかね?

 

お客さんが買わずに自分達の音楽を聞いているからですか?

 

 

音楽特有のビジネスモデル

同じ著作物でも異なる動きを見せているのが、イラストや写真などの画像素材だと思います。いや、音楽でもBGM系は既に結構ありますが…

 

WEBを調べて漁るとたくさんの「フリー素材」が手に入ります。

プレゼンテーション資料を作るための画像や写真、それこそボーカルレスのBGMや効果音であれば音楽もたくさん入手できます。

 

彼らは損をしているのか?

いや、逆です。

「フリー素材」を入口にして、気に入ってもらったお客様にはより高画質な素材や、オリジナルの素材を作成して販売することでむしろ儲けています。

 

クリエイティブな商品に限らず、化粧品にしても健康食品にしても家電製品にしても、「まずは無料お試し」を入口に商品を販売する手法は王道でしかありません。

 

本当はお店や結婚式、イベントでかけてもらって認知度を上げてもらった方が、その楽曲はより多くの人に届き、購入してもらえるキッカケを増やすことも可能なのでは??

と思うわけです。

 

それができないのは、

メジャーアーティストは事務所に所属しているからです。

メジャーアーティストの楽曲は、所属している事務所の所帯の維持、プロモーションに使った莫大な経費の回収も求められます。

もはや音楽そのものの価値以上の収益を上げるためにかけた投資を回収するために音楽そのものの価値以上の収益を上げようとしている、というループ状態に陥っています。

 

 

これからのアーティスト

僕は全然詳しくないですが、芸能界などもこれに近い構図になっていると考えています。そして、音楽業界よりも先に変革が起きていると思います。

 

例えばYouTuber。彼らは言ってしまえば事務所に所属せずに(してる人もいるけど)、また、TVとは異なるWEBというメディアという場を活動拠点にしたタレントと考えることができます。

 

注目したいことは、彼らは大きな事務所に所属せずに、自らのコンテンツでフォロワーを獲得し、自らの人脈で収益を上げています。(実際にはこれもGoogleのプラットフォームに依存している部分もあるんだけど、まぁそこは置いておいて)

 

そういった意味で、すでにこういう人いるじゃん!

と言われそうですが、音楽についてもこういうやり方でトップに上り詰めるアーティストが今後出てくるのではないか???

と考えています。

 

要するに、

著作権はフリー、バンバン使ってもらうことで認知度を上げて、

メジャーレーベルに所属せず、

違う領域でマネタイズするアーティスト!!

 

ってゆーか、既にYoutubeとかでバンバンメジャーアーティストの音源も公開されたりしていて、実は事務所側もそういう方向で動いてるんじゃなかろうか?

とは思っているんですけどね。

楽曲そのものの売り上げとかじゃなくてイベントとかグッズとか他でマネタイズすることも当たり前になってきてるし…

 

書いておいてなんだけど…(^^;)

 

って考えた時に

JASRACって、誰に頼まれて、誰の為に著作権守ってんだろ…??

それってJASRAC自身が存続するためじゃねーの??

 

とか思っちゃいました…

 

これからは

クリエイターが自らの作品を自ら流通させてマネタイズするのが当たり前の時代ですよ。インターネットを活用したプラットフォームも完備されてるし。

 

音楽に限らず、アートに限らず、

これからは小回りの利く小集団ごとにそれぞれのフォロワーを対象とした比較的小さな、けど深いマーケットでビジネスしてくべき時代だと思うんですけどね…

※「小さな」とは物理的な大きさではない。エリア的にはグローバル化する。

 

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たった1つ知っていればOK!最強のメンタル法則 〜認知的不協和理論〜

どうも

sho-ichです。

 

前回の投稿でも書きましたが、

僕は大学時代心理学を学んでいました。

(専攻は違うけど)

 

大学院の協力研究員(まぁ、ただのボランティアです)として、認知行動療法の研究に関わらせて頂いている今でも、

「人の心を把握する最も本質的な法則だ!」

と個人的に密かに思っている理論を紹介しますね(^^)

 

 

心と身体は常に一致したい

つまるところ、こういうことなんです。

人間の感情と行動は常に一貫性を保とうとします。

嫌な相手には嫌だという態度を取りますし、気の進まない仕事はダラダラとやってしまいがちです。

 

え、なにそれ?

当たり前じゃん…

 

と思ったあなた、ここからですよ(^^)

 

これ、実は逆も起こるんです。

要するに、嫌な相手とでもまるで仲良しかのように振舞っていると、嫌な気持ちが好意的な気持ちに変化したり、

気の進まない仕事もやっているうちに真剣になったりするんです!!

 

 

心の安定を守るための心理システム

ちょっと極端な例ですが、犯罪心理学の研究領域で、囚われた人質が誘拐犯を好きになってしまうことがしばしば起こることが確認されています。

 

あり得ないと思いますよね?

 

これはなぜ起こるかというと、人質はとてつもなく大きな恐怖にさいなまれます。しかしながらその恐怖から逃れることができません。人質ですから…

そうすると人質は恐怖心で精神的に危険な状態に陥ってしまいます。そういった身の危険を回避するために、恐怖心を好意の気持ちにすり替えるのです。

そうすることで、誘拐犯と一緒にいなければならないという精神的に危険な事態を、好きな人と一緒にいるという安心な状態にすり替え、自己の精神を防衛するのです。

 

にわかには信じられないと思いますが、人間には様々な自己防衛システムがプログラムされています。例えば出血多量になると、毛細血管が収縮し出血量を減らそうとするために青ざめます。また、場合によっては意識を失うわけですが、それも活動量を制限することで余計な出血やエネルギーの浪費を避けるために起きる現象です。

出血多量と言う瀕死の状態で動けなくなることの方がリスクのように、現代人には感じてしまいますが、何万年もの進化の歴史の中で培った心身の反応はそう簡単には変わっていないのです。

 

 

認知的不協和理論

さて、本題に戻りますが、

認知的不協和理論とは、フェスティンガーという心理学者が提唱した理論です。

彼が行った実験は簡単に言うと以下のようなものです。

 

つまらない単純作業を行ってもらった被験者に「面白い作業だったよ」と嘘をついてもらいます。その際、高い報酬を与えたグループと、少額の報酬しか与えないグループだと、少額の報酬しかもらっていないグループの方が、本当に面白いと感じた度合いが高かったという内容です。

 

要するに、

高い報酬をもらっているグループは「本当はつまらなかったけど、高い報酬をもらっているから仕方ない」と割り切れるわけです。

しかし、少額しか報酬をもらっていないグループは、本当はつまらなかったのに「面白かった」と発言している自分の言動との整合性が取れず、不協和を感じるわけです。

 

そこで、「実際に面白かった」と感じることで、「100円しか報酬はもらえなかったけど、思ったよりも面白かったから(とかいい経験になったからとか)まぁいいよね」と自分を納得させるのだと言われています。

 

 

これ1つで基本的な心の動きを予測できる

さて、ここまでは、ただの知識です。

非常に有名な理論なので知っている人も多いハズ。

 

そこで、僕がどのようにこの理屈を応用しているのかを少しだけ紹介したいと思います。

 

例えば、

冒頭に述べた気の進まない仕事もやっている内に真剣になったりする件ですが、

もちろんただダラダラと気の進まない仕事をやっていても、一向に真剣にはなりません。なぜなら、「気が進まない」という感情と「ダラダラやる」ことの間に一貫性があって不協和が生じないからです。

人質の例や、フェスティンガーの実験のように、

感情とは異なる態度を本人に取らせる必要があります。

例えば、気が進んでいない当人に敢えて部下を付けて、当人が自分の仕事の意義ややりがいを他者に説明しなければいけない状況をつくる、などが有効かもしれません。

「役割が人をつくる」なんて言ったりすることがありますが、それはまさにこう言うことなのかもしれませんね。

 

また、

「勉強しようと思ってたのにお母さんに“勉強しろ”と言われてやる気が失せた」

みたいな話もよくありますが、これも同じように説明できます。

人から「●●をしろ」と言われるということは、

自分がそもそも「●●をしたくない」と思っていないと、言われている状況と自分の感情の整合性が保たれないですよね。

 

最後に公民の教員っぽい例を出しますが、

倫理や現代社会で勉強する防衛機制」もこの認知的不協和理論で説明できるものが多いと思います。

例えば合理化や投射、反動形成などは、すべて心と体の状態の一貫性を保とうとする心の動きとしても捉えられます。

 

合理化はわかりやすいですね。

例えば欲しいと思ったものが手に入らなかったとき、「もともとそれほど欲しくなかったから別にいいんだ」という風に合理的な理由を用意します。

ずっと「本当は欲しいのに!」と思っていると辛いので、「欲しい」という気持ちを「手に入らない」という現実に即して変更したわけです。

 

投射は自分が思っていることを相手が思っていることとして置き換えることですが、

例えば相手のことがとても嫌いだとします。しかし、一方で人間は「自分はいい人でありたい」とも思っています。「いい人でありたい」という気持ちと、「相手を嫌いだ」という気持ちが矛盾していると不協和状態に陥るので、「いい人なんだけど、相手の方が自分のことを嫌いだから、自分も嫌いなだけだから仕方ない」というふうにバランスを取るわけです。

 

反動形成は投射に少し似ていますが、

好きな人に意地悪しちゃうみたいな、本当の気持ちとは逆のことをしてしまうというやつです。これは、もちろん「自分の気持ちを悟られたくない」ということもあると思いますが、なぜ悟られたくないのか?それは「好きだけど、相手にそれが受け入れられなかった時にショックだから」ですよね。

「相手に受け入れられないに違いない」という気持ちが強くなってしまうと、受け入れられないのに好きだという気持ちを持つことが不協和を生んでしまうので、好きではないような行動をとることで一貫性を保とうとしてしまうとも考えられるのです。

 

 

相手の心に揺さぶりをかけて行動を促す

さて、認知的不協和理論でなんとなく心と体の関連に納得いただけたなら、

後はそれをどう使うか、ですね。

 

僕は相手の行動をコントロールしたいと思う時に、この原則を用いています。

 

なーんていうと、ちょっと嫌なヤツっぽいですよね…(^^;)

 

違いますよ(^^)

ようは、相手にキチンと期待をかけるということを徹底しているという話です。

相手に「こうしろ!」「ああしろ!」と言っても、「勉強しなさい」と言われてやる気をなくすように、むしろ逆の反応が起きます。

 

そうではなく「すげーじゃん」とか「さすがっすね!」とか、相手を肯定する言葉かけをキチンとするようにしています。そうすることで、うまく「この人は自分のことをすげーと思ってくれてるんだな」と思ってもらえるようにします。

それがうまくいって「自分は価値ある人間だ」と思ったもらえたなら、それと一貫性の無い望ましくない言動が起きづらくなるというワケです。

 

「褒めて伸ばす」ってのも、要するにこう言うことだと、

僕は思っています。